理由がないのに、馬鹿にされる



私はよく馬鹿にされる。


例えば、初対面の場合、私は自分をごく平凡な人間として多くを語らず、まずは相手の出方を伺うのだけれど、そうすると、頼みもしないのに、


ずっと年下のひよっこ様達から、教科書的な仕事のイロハを切々と教育されたり、


いいおじさん達からも、根拠の曖昧な世間一般の通説を真顔で講釈されたり、


いくらなんでも、よく、ここまで無知と決めつけるなとあきれ返ることが頻繁にある。


 


私には、馬鹿オーラが出ているのだろうか。


でも、いろんな国で仕事を含むいろんな経験をしたし、読書量も驚かれるレベル、海外の大学院でも勉強した。少なくとも無知ではない。


また、服装なんかは質素だけれど、いい役やってるようなタレントに似ていると言われることもあったから馬鹿面ではないと思う。


ちなみに、外国人観光客から英語で道を聞かれることも多いけれど、ふつう、英語の通じない国で馬鹿に見える奴に英語で話さないでしょう。

 


他人を馬鹿にする人間は、優越感に飢えている




一方で、よく知らない相手を無知と決めつける人間って、どういう人間なのだろうか。


少なくとも、利口な人間でないのは間違いないでしょうな。


誰でも知ってるようなことを、自分しか知らない大した知識のように考えてるわけで、かなり程度は低いと言える。


あとは、優越感に飢えているのだろうか。


どこかで拾ったか簡単に手に入るような、安っぽい知識でも感心されたいわけだから。


 



馬鹿にされるのは、人格者と思われているから




そういう人間でも、自分に危害が加えられる可能性があれば、馬鹿にはしないはず。


たとえ相手が本当に馬鹿であったとしても、怒らせたら殺されるかもしれないと思ったら、馬鹿にはしないだろう。


では、私が弱いと思われている?


それが、昔ボクシングをやっていて今でも体を鍛えている。


一方、相手はケンカも含めた格闘技経験どころか、運動している雰囲気すらないのが多い。


たぶん私が勝つと思う。


そもそも肉体的には私より弱いはずの女性にだって、よく馬鹿にされる。


 


結局、私なら、何をやっても、ひどいやり方で返されることは絶対ないと、安心しているから平気で馬鹿にしてくるんじゃないか。


私をやさしい人だと信じて、寛容さに甘えてる。


 


もし君もよく馬鹿にされるなら、君は人間ができていると信じられてるってことだろう。


とにかく認めてもらいたい寂しい人間が、人格者の君に頼りきってるってわけだ。


 


いい人の典型としてはドン・キホーテ、ドストエフスキーが無条件な善人を描こうとしたら「白痴」という設定にせざるえなかった、日本では寅さん、……古今東西、いい人は馬鹿にされる宿命を持っている。


やさしい、いい人間でいましょうよ。


つまらん奴らに馬鹿にされても気にならんでしょう。





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