「雨にも負けず」をなぜ子供に読ませるのだろう?

謙虚・清貧を否定する社会

教科書によく載ってる、宮沢賢治の「雨にも負けず風にも負けず……」

このあと、「欲はなく」「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」「野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて」「みんなにでくのぼーと呼ばれ」「褒められもせず」と続く。

忍耐・善行および、謙虚と清貧を奨励している。

一方、現実の世の中は、人々の「欲」をかきたてて金を稼ぎなさい。

おおげさでいいから自分は優れていると自己主張して「褒められ」なさい。

そうやって金を稼いだあなたは、がんばった人で勝ち組。

優遇するから、遠慮なく「欲」を満たしなさい。

そして、控えめで自己主張せず「欲はなく」金を稼がない「でくのぼー」で「褒められも」しないあなたは、負け組。

軽蔑され、いいようにこきつかわれて、結婚もせず子供もつくらず、みじめに死になさいって感じ?

「雨にも負けず」に感化されたら、苦労する

それなら、「雨にも負けず」をなぜ子供に読ませるのだろう?

謙虚・清貧は負け組の思想だから、素直でまじめな子供が「雨にも負けず」なんかに感化されたら、将来必ず苦労する。

むしろ、道徳の教科書には、とにかく金を稼いでぜいたくに暮らした勝ち組さまの伝記でも載せればいい。

そうすれば、なんでもいいから金を稼いでぜいたくしようって素直にがんばる人がもっと増えるでしょうよ。

そして、みんなで切磋琢磨して競争力つけて、負け組は蹴落として利用して、国はずっと豊かになる。めでたしめでたし……でしょ?

で、競争に敗れた孤独な老いぼれだけが、なぐさめに「雨にも負けず」を読めばよろしい。

内向、無口、根暗、控えめ、慎重は短所?」でも、現在社会の人物評価に疑問を呈してます。
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