認められるのをあきらめた時、自分が基準になる
昔は、人に認められようとあくせくしたものである。
仕事、勉強、情報収集に、運動、人付き合い、1日36時間ほしいと思ってた。
そして、結局、認められなかった。
今では、むしろ、馬鹿にされている。
今後も認められることはないだろう。
でも、それでよかった。
認められようとする限り、他人の基準で生きることになるから。
認められるのをあきらめた時、自分が基準になる。
「バカにされ、無視された。ありがとう」でも、認められないことのメリットについて書いてます。
認められるのをあきらめたら、やりたいことができる
これまで認められるために費やしていた時間と努力を、これからは何に向けるのか。
どっちにせよ認められないのだから、人の目は気にせずに、やりたいことをやればいいじゃないか。
認められる人は、まわりの目があって好き勝手はできないけど、認められない人間は、迷惑かけない限り、誰も気にしない。
自由なんだ。
「人生うまく行かない時、その人にしかできないことが生まれる」も参照ください。
誰のためでもない、自分が本当に価値があると信じるもののために、努力と時間を捧げる。
最高の幸せじゃないか。自分が価値あると信じるもののために生きられるって。
