先行きに不安を感じたら、最悪を想像する


いまだに、夜中に怖くなって目が覚めることがある。


60歳近くなって先も長くないのに、ちゃんと生きていけるのかが怖くなるんだよ。


 


これ、人間の習性だな。


歴史上の絶対権力者達すらも、いつも何かにおびえていたというから。


何をやっても、いくつになっても、安心できることはないみたい。


 


そんな時は、考えられる最悪の状況を想像する。


体が元気なら、なんらかの仕事はあるだろう。


幸い私は独身だ、ぜいたくな趣味もないから、最低賃金でも不便なく生活できるんじゃないか。


独身に関しては、「独身でよかったんでしょう」で書いてます。

 


働けなければ、(仕組みはわからないけど)生活保護ってのも受けられるんだろう。


 


最悪を受け入れる


そういう生活を楽しめそうか。


そもそも、悟りたいと思っているから、大丈夫だろう。


自らすべてを捨てて、野に伏し残飯を食して修行するような根性はないけれど、質素な最低限の生活、結構じゃないですか。



貧困より軽蔑がこわい


より心配なのが、他人からの軽蔑。


私の場合、恐れてるのはこれだけだと言っても過言じゃない。


 


孤独は慣れっこで全然恐れていないから他人と関わらなければ全く問題ないんだけど、最低限の生活をしたければ関わらないわけにいかんだろう。


そうすれば、バカどもに確実に偉そうにされる。


下手すりゃ、人間扱いされないかもしれない。



精神的優位に立つしかない


対策としては、自分が精神的に優位に立つしかないんだよな。


人間なんて本来が馬鹿なんだと認識する。


馬鹿が動かす社会でうまく生きられないとしても、むしろ、それがまともなんだと考える。


この辺り、「英語、古典、歴史、そして運動」で詳しく書いてます。

 


偉そうにされたら、サルが騒いでるくらいに思って「ハイハイ」聞きながら心の中で軽蔑すればいい(これまでもやってきたことだ)。


この辺り、「人間は神にはなれない。サルだ」で詳しく書いてます。

 


そんなところで何とか解決できるんじゃないかな。


最終的には、これも悟るためと考えれば、耐えられるだろう。


 


一番つらいのは、親戚の子供たちの軽蔑。


これは、開き直るしかないか。


成長するとともに、彼(女)たちは自分の判断基準を持つわけだから、それで軽蔑されたら仕方がない。



最悪を受け入れれば、こわいものはない


ということで、最低限の生活と他人からの軽蔑を恐れなければ、他に怖いものはないんじゃないか。


 


恐れを絶ったら、あとは、今何をすれば楽しい人生になりそうかを考えて実行する。


できることもやらずに終わるのが、一番悔しい。