老いは楽しめない
老いを楽しむなんて言うけど、それは妥協なんだよ。
若い時ほどは、何をやっても楽しめない。
刺激に慣れすぎて何事にも新鮮味を感じないから、盛り上がらない。
体力が落ちて、疲れることはもう無理。
醜くなるから、それなりの人間的魅力がなければ、好かれることもない。
同情されるのがやっとだろう。
若い時より出来るとすれば、精神的な活動だろうけど、それは楽しむというものではないだろうし、誰もが出来るものでもない。
それも、体が動けば、まだいい。
私が一番怖いのは、ボケたり動けなくなって生きること。
そうなる危険を感じた時は、究極の選択(=自死)も真剣に考えないといけないなとも思ってる。
あくまで私個人の話として。
だから、その前に寿命が来れば安心だと。
この辺り、「ひきこもる人って根性あるよ」でも書いてます。
「人間五十年」で十分だ
迷惑な年寄りにはなりたくない
それで、「人生百年」って、うれしいか?
会社勤め続けた人たちも、定年当初は「楽しむぞ!」ってなるんだろうけど、すぐに、あまり楽しくないってのがわかると思うよ。
それを無理して楽しもうとするから、迷惑な年寄りになってしまう。
少し前の調査だけど、「若い人たちの負担を増やしても年金は下げるな」と年寄りたちが言ってた。
それで、生きてて楽しいのだろうか?
この辺り、「すべてが結局無駄だったけど、満足感がある」でも書いてます。
「人間五十年」で十分なんだよ。
長く生きたって誰の得にもならない。
不要な診療と薬で儲けようという悪徳医師が喜ぶだけ。
「生き残ることは、決して名誉なことではない」もご参照ください。
含蓄ある年寄りを目指しましょう
もちろん、長く生きただけの含蓄を感じさせるお年寄りもいらっしゃる。
そういう人たちって、若い時にムチャしてる人たちなんだよね。
どん底を経験してるから、言葉の一つ一つが重い。
普通に、無難な生き方をしてるだけでは、こうは絶対なれない。
私は、そういう意味ではとりあえず可能性あるんで、目指してみますわ。
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