11月29日(日)放映のNHKスペシャル「ある、ひきこもりの死 扉の向こうの家族」に関し、「ひきこもり」と「死」を絶対悪のように捉えていたことに違和感を感じた。
「ひきこもり」に関しては「ひきこもってた人には、よくがんばったねって言いたい」で書いたので、「死」について書きます。
私は、こう死にたい
私もズバリ、
・ボケたり動けなくなったりする気配があれば、断食して餓死しようと思ってた。
それは、自分にとっては自殺ではなく、尊厳死。
安楽死は、他人を殺人者にしてしまう(喜んで殺す人もいるけれど)。
だから、自ら「生き仏」になってやろうと。
・ガンにでもなったら、医者にかからず、そのまま放置しようと思ってた。
「人間五十年」超えてもう十分生きたし、前述のようにボケたり動けなくなる方がこわいし、「生き仏」もできれば避けたい。
高い金払って手術して寿命が延びたところで、今後、「生きててよかった」と思うほどの想定外のうれしいことが起きるってのも考えにくい。
野生動物であれば、医者などにはかからず静かに弱って死んでいくわけだから、私も死の病にかかったなら、野生動物のごとく、自然に逆らわず静かに死んでいきたいなと。
「人間五十年」超えたら、死をタブー視するのは不自然
実際、高齢者の多すぎるのが国としての悩みの種でしょう。
生きたい人は、気がすむまで生かしてやればいいけど、本音では生きたいと思っていない高齢者も結構いるんじゃないかと推察する。
いずれにせよ、「人間五十年」超えたら、死をタブー視するのは不自然な気がする。
(死にたい高齢者は死んでもいいと公言すると、確実に、金銭絡みの犯罪などで死にたくない高齢者が殺されるケースが多発するだろうから、難しいのはわかる。)
ひきこもる人って根性あるよ
そう言いながら私は、2日間断食を試したことがあるけれど(金がなかったのではなく、興味本位で)、それできつかったから、はたして餓死するまで我慢できるのだろうかと、また、ガンによる体の痛みって相当きついみたいだから、それに耐えられるだろうかと、自信があったわけではない。
番組で紹介された亡くなった人たちは、それを実践した人たちなんだよね。
純粋に、ものすごい根性だよ。
正直、尊敬できる。ふつう、怖くてできないもん。
この根性、それに「ひきこもってた人には、よくがんばったねって言いたい」で書いた忍耐力、まじめさ、気のやさしさを、少しずつでも社会をよくするために生かせないかと思うんだよ。
これから社会に出るもっと若い、自分に似た人たちのためにも。
特に、「人間五十年」超えてない若い人は、苦しくても最低50年は生きろって言うよ!
まだまだ、「生きててよかった」と思うほどの想定外のうれしいことが起きる可能性が十分あるから。
