人生、死ぬまで鍛錬と学びだ

生きてる間に楽しようなんて、望まない方が正解

人生が変われば楽になるなんて錯覚するから、苦しくなる。

生きてる間に楽しようなんて、望まない方が正解じゃないか。

お金稼いでぜいたくできれば幸せと言う人であっても、それが実現すれば、今度は死ぬのがこわくなる。

そもそも人間は信用できないから、油断なんてできない。

だから、悟りの境地にでも入らない限り、心から楽になるなんて絶対ありえない。

楽できるのは死んでからだと考えた方が、生きやすい

楽できるのは死んでからだと考えた方が、ずっと生きやすい気がする。

生きてる間は、とにかく辛抱して鍛錬し学び、そうすれば、死んだ後に報われると。

宗教くさいと馬鹿にせずに、天国・極楽を期待して損はないでしょう。

少なくとも、この世で天国・極楽を期待するよりは、可能性はあると思う。

なお、苦しいからと自殺したら死んでも楽にならないと、多くの宗教は言っている。

では、どのような鍛錬と学びをしようか。

自分がやりたいことをあきらめて、良心の呵責も我慢し、低俗な同僚とくだらない仕事を長時間続けることでも、鍛えられ学べるだろう。

逆に、孤立し軽蔑され、それでも自分の道をつらぬき、その結果何も生み出せなくても、鍛えられ学べるはずだ。

それで、死んだ後にも楽にならなかったとして、あなたは、ただ土になるだけ。

何も困らない。

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