人間も社会も、根本的には変わらない


2,500年くらい前の、孔子(中国)、釈迦(インド)、ソクラテス(ギリシャ)の時代から、人間も社会も、根本的には変わってないように思える。


便利になった分、悪くなった部分もあるんじゃないか。


昔は、自然や人知を超えた存在に対する畏怖ってものがあったからね。


 


良くなったのは、奴隷制や身分差別などの人権侵害が、昔は公式に認められていたのが、20世紀になってようやく、多くの国で名目上禁止されるようになったってことくらいかな。


それでも、単民族国家の日本ですら、ブラック労働や派遣差別など、事実上の人権侵害はまだ継続している。


派遣差別については、「派遣 Lives Matter(派遣の命は大切)!」でも書いてます。

 


結局、自分勝手で欲張りで嘘つきで非情なまま。


それが、人間という動物の本能であり習性なんだろう。


だから、人間はずっとこのままだろうし、社会もごくゆっくりとしか変わらないと思って、間違いないんじゃないか。


2,500年間も、多くの偉人賢人の奮闘努力にもかかわらず、大して変わらなかったんだから。


 


自分の精進に集中して、評価は他人の好きに任す


そんな社会で、自分はどう生きるか。


うまく立ち回れて、それが苦痛でないなら、幸いでしょう。


 


うまく立ち回れない場合は、偉人賢人になれないにしても、それに近づけるように精進するのはいかがでしょうか。


自分の精進だけに集中して、それをどう評価するかは他人の好きに任せるしかない。



 


その結果、処刑、惨殺、追放、迫害された有名・無名の人、歴史上にたくさんいると思われるけど、それでいいじゃないですか。


無理してうまく立ち回るのと、どっちが幸福かってことですな。


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