同じ人間だから理解しあえる、は錯覚


結局、面倒くさいのは人間関係だけなんだよね。


人間関係さえ問題なければ、仕事の障害のほとんどが解決だし、結果として、普通に生きる分には金に困ることもなくなるはず。


 


病気や天災、動物や虫の害なんかだと、人間の理解を超える問題だから、適切に対処できなくても仕方がないとあきらめもつく。


それが、自分と同じ人間だったら理解しあえるはずだと錯覚してしまう。


だから、人間関係に適切に対処できなければ、それは自分の力不足だと考えてしまう。


 


だけど、実際は、同じ人間なのに理解しあえないことだらけ。


例えば、


なぜ、こんな同義に反したことを平気でやるのだろうか。


なぜ、この程度の人間がこんなに偉そうにしてるのだろうか。


あるいは、なぜ、こんな不当な扱いに我慢し続けるのだろうか。


 


心がやさしいから、人間関係に苦しむ


そもそも、理解しあえると考えるのが間違っている。


だから、人間関係にうまく対処できなくて当たり前。


力不足なんて、とんでもない。


 


ずるい人間は、うまくごまかして相手をコントロールできるかもしれない。


相手のやさしさに乗じて、強引にコントロールしようとする奴らも多い。


それらを、人間関係の適切な対処とは、とても言えないだろう(本人たちは、適切に対処してると信じてるだろうけど)。


 


それに対して、心のやさしい人は、相手を理解できないのに気を遣い過ぎてしまうから、人間関係の対処に苦しむ。


人間関係が面倒になって避けたくなるのは、心のやさしい証拠。


(ただのわがままであれば、孤独には耐えられない)


 


人間関係は永遠の難題


欠陥だらけの人間たちと、人間が創った欠陥だらけの社会で、凡庸な私が、どう関わるのが望ましいのか、60年近く生きて、多くの名著も読んだけど、まだ答えは出ない。


その答えがわかったら、それこそ「悟りを開いた」ということではないかと思うくらい、私にとっては難しい問題だ。


 


自分を捨てて人のために生きなさいとかは美しいし、素晴らしいと思うけど、誰もが出来ることではない。


無理してやっても苦痛なだけで、あまりに過酷な人生になってしまう。


とても耐えられそうにない。


もっとハードルの低い、万人に適用できるものはないだろうか。


あと何年生きるかわからんけども、他にやりたいこともないから、答えを探し続けようとは思ってる。



 


第一歩としては、(態度に出ないようにしながら)上から目線で、バカなサルだと温かく見てやることでしょうかね。


いまだに全然わかりません。


人間は神にはなれない。サルだ」も参照ください。

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