理解しあえるという錯覚が、トラブルの元
60歳近くなって初めて、自分の考え方が間違ってたと気づくことがいっぱいある。
なんで、もっと早く気付かなかったんだって恥ずかしく思うけど、それが自分の実力だからしかたがない。
「理解しあえると思うのが錯覚。人間関係にうまく対処できなくて当たり前」で書いた人間関係について、さらに考えたんだけど、人間関係が面倒になるのは、結局、自分が正しければ理解されるはずだと、とんでもない誤解をしてるからじゃないか。
理解されるはずだと思うから、理解できないのは相手の知性・性格の問題であり、それを乗り越えてまで説得するのは難しいし、面倒だとなってしまう。
根底にあるのは、同じ人間同士理解しあえるはずだという錯覚。
でも、実際は、人間同士でも理解できないことだらけ。
そのギャップに、まじめで気のやさしい人は苦しむことになる。
どうやったら理解してもらえるのだろうかと、そもそもが不可能なことに心を痛めてしまう。
理解してもらえないのは自分の伝え方が下手なんだと勘違いして、自分を責めてしまう。
理解しあうのは無理だと思えば、人間関係はうまくいく
人間同士が理解しあうなんて所詮無理なんだという事実に気付けば、人間関係は逆にうまくいくんじゃないだろうか。
理解されようなんて期待がなければ、余計なこと考えなくていいから、思ったこと言いやすい。
理解されないのが当たり前と思っていれば、相手にも期待しないから、こちらは強引にはならないし感情的にもなりにくい。
相手の無茶苦茶な主張だって、抵抗なく聞き流しやすいはず。
それで、少しでも理解してもらえれば、ちょっとは気が合うねくらいの感じで。
ただ、理解してもらったように見えても、心の中はわからないから。
相手の都合のいいように、完全に誤解してることもよくあるし。
そんなもの。
そうやって、理解しあえない前提で人と関わって、苦痛でなければ十分仲間。
それ以上は求めない。
少しずつ理解しあえる範囲が広がれば、いずれは親友ともなりえる。
不器用な私たちは、人間関係も、焦らず、ゆっくりコツコツでしょう。


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