だましあいが当たり前の社会
「正直者が馬鹿を見る」
「人を見たら泥棒と思え」
昔から言われてる言葉だから、やはり、現実なんだろうと思う。
実際、特に商売は「だましあい」だって、本気で信じてる人多いからね。
だまされた方が馬鹿だって話になる。
男と女の話でも、そういうの、よくありそうだよね。
それが人間という動物の習性だから、どうしようもない。
それで社会が成り立ってるのが不思議なんだけど、結局、相手を見て使い分けてるんだろう。
だましても害のない相手と、だましてるのがばれたら怖い相手。
だますと怖いとは思われない、私のような人間に選べるのは、そんな社会でどう生きるかってことだけ。
社会に合わせて、うまくだましながら生きるか。
できるだけ誠実に生きるか。
どっちが気分的に楽かでしょうな。
誠実でいたいなら、だまされるのは仕方ない
誠実に生きようと思ったら、人を疑いにくくなる。
相手も誠実な人間だった場合、疑うことで傷つけてしまうから。
もちろん、容姿、職業、人種などで差別はできない。
むしろ、やっかいなのが、エリートの看板背負って、きれいな言葉で語る人。
大企業の社員とか医者とか。
悪意があっても、隠しやすいから。
さらに、最後は力で押し切りやすいし。
誰が善人で悪人かなんて、本当にわからない。
悪人ばかりだと考えるのが無難だけど、それでは人生つまらなさすぎるし、そもそも生きにくい。
だから、あきらかに胡散臭いと思わなければ、信じてみるしかない。
誠実な人は、悪意ある人間にとって最高のカモ。
誠実な人の宿命だ。
1回くらい、相手によって仏の顔3回分は、だまされても良しとしよう。
「馬鹿にされるのは、いい人だから」と「自分の精進に集中して、評価は他人の好きに任す」も参照ください。


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