私が尊敬する人たち
ものすごい人たちは、いっぱいいます。
ただお金をもうけてるとか、立派な役職についてるとか、あるいはテレビに出てる有名人だとか、そんなのは何とも思わない。
平気で踏みつけてやるって感じだけど。
「高給サラリーマンですか?みっともないですネ」も参照ください。
純粋な信念と才覚と行動力によって、多くの弱い立場の人を助け、勇気づけている人たち。
その生きざまが、そのまま感動のドラマとなるような人たち。
アフガニスタンで殺された医者の中村哲さんなんかは言うまでもないけど、知られていない英雄もたくさんいると思う。
そういう人格と能力を兼ね備えた人たちには、私は、すなおに負けを認め、頭を下げます。
動機が不純では、覚悟が伴わない
自分もそうなりたかった。
正直、そうなれると信じて目指してた。
でも、目指してる時点でダメなんだよな。
そこに、認められたいという不純な動機が混じってるから。
不純だから、覚悟が伴わず中途半端になる。
ものすごい人たちって、自然に身を捨ててるんだよね、たぶん。
他人にどう思われるとかじゃなく、とにかくやらずにおれないって感じで。
自分とは、次元が違いすぎた。
使命とは、欲や妄想が消えたあとの残り火
私は、そんなことがわかるまでに60年近くも生きなければいけなかったバカでございます。
一方で、その無知が生きるモチベーションにもなってたわけだけど。
それに気づいたこれからは、そういう英雄たちの十分の一でも真似られるように、謙虚に精進したいと思います。
結局、それが私の使命なのかなと。
「使命なんて、探してもわからない」で書いたように、十年以上も使命を探して見つからなかったのだけれど、ようやく、それらしいものが分かった気がしてる。
使命というか、もうそれしか残ってないじゃんって感じで。
人に認められようなんて不純な動機がある限り、使命はわからないんだと思った。
使命なんて、全然きらびやかなものじゃなくて、残り火みたいなものじゃないか。
欲や妄想が消えて、最後の最後に残るもの。
私が尊敬する英雄たちは、若い時から、欲や妄想を消せたんだろうな。
「認められることをあきらめた時、本当の自分になれる」も参照ください。
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