怒りを内に溜めていれば、寛容になる

年をとって、恨みや復讐心はなくなった

私だけかもしれないけど、気づかないうちに、怒り以外の感情を意識しなくなってた。

孤独の中、年とると、そうなっちゃうのかね?

気づいてからは、小さなうれしいことでも意識するように注意してるんだけど。

それでも、8割がたは怒りかな?

ただ、怒りを感じても、恨みや復讐心は感じない。

人間だから仕方ないみたいな、あきらめ感が強い。

若い頃は、実際に復讐心を持ったと思う。

絶対見返してやる、後悔させてやりたいってな感じで。

今は、勝手にやってろって感じ。

今後は関わらないようにしましょうで、おしまい。

これ、寛容になったと言っていいかな?

怒りを内に溜めていれば、寛容になる

イエス・キリストみたいに「汝の敵をも愛しなさい」ってのは、絶対無理でしょう。

ドストエフスキーだって、敵を愛せる人間を小説に登場させた際には、「白痴」という設定にするしかなかったわけで。

そうしないと、おとぎ話になっちゃうから。

だから、愛せないけど、見逃してやるってレベルで、寛容と言ってよくない?

馬鹿にされるのは、いい人だから」も参照ください。

60年近く生きたら、相当の怒りを我慢してきてるから。

そして、これだけ怒りだらけだと、もうあきらめるしかないってなるから。

これが、怒りを外に出す人の場合は、話が変わる。

そういう人は、怒りたくて怒ってるから。

怒ることでストレス発散しようとしてるから。

だから、怒りを求め続ける。

よって、寛容になることはない。

キレる年寄りになるのは、こういう人だよ。きっと。

寛容のカギは、あきらめ

だから、怒りを我慢して、内に溜めている人。

あなたはいずれ、寛容な人になります。

そのカギは、あきらめ。

人間、良くなることはありません。

それを教育する義務も、あなたにはない。

彼らの問題だから、放っておきましょう。

反面教師にして、自分を律するのみ。

「ならぬ堪忍するが堪忍」

結局はそういうことです。

内に怒りを溜めるメリット」も参照ください。

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