「挑戦」という言葉は、難しいことに対してのみ
「挑戦」って言うと、勢いでぶち当たるようなイメージがあるけど。
勢いでやれる程度のことなら、それはただの「腕試し」「運試し」。
度胸だけあればよい、ギャンブルみたいな一時的なお遊びとも言える。
それを「挑戦」と呼ぶのは、あまりに軽すぎないかい?
「挑戦」という言葉は、もっと難しいことに対してのみ使ってほしい。
でないと、言葉の価値が下がる。
難しいことだから、当然、時間がかかる。
長い準備が必要で、すぐには結果が出ない。
調べて、少しやって様子を見る
うまく行かなかったら、また調べ、また少しやってみる。
途中こわくなったり、できないんじゃないかと弱気になったりもする。
何度も振り出しに戻って、万策尽きたと思ってしまうこともあるだろう。
本当の「挑戦」は、地味でかっこ悪いもの
「挑戦」とは、そうやって、ゆっくり少しずつしか進まないもの。
とてもとても、勢いでぶち当たれるようなものじゃない。
おっかなびっくり、行ったり戻ったり止まったりしながら。
長期戦になるのが当たり前。
だから、「挑戦」すれば、長い苦しみも当たり前。
その間は、馬鹿にされ、負い目を感じまくる。
このまま夜は明けないんじゃないかと思ったりもする。
挑戦、挑戦、と簡単に騒ぐ人が多いから、華やかでかっこいいものみたいに思われるけど。
本当の「挑戦」は、地味でかっこ悪い、とてもみじめなもの。
それでもやるか、どうかですわ。
「うまく行っていないからこそ、偉人になれる」と「57歳ひきこもりの挑戦」も参照ください。


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