資本主義社会で金を稼げない奴は虫けら
20年間のどん底の中で、はっきりわかったこと。
・私は、質素な生活ができれば十分だ。
・私には、金を稼ぐ意欲と才能がない。
若い頃から知ってたんだよ。
ただ、残念ながら、資本主義社会では、金を稼ぐ能力だけが評価される。
金を稼げない奴は、他の部分でどれだけ優れていたとしても、金を稼げるだけの奴に虫けらのように扱われる。
だから、人間の尊厳を守るためには、少なくとも、金を稼げる奴に頼らなくても生きられるくらいの金を、自力で稼ぐしかない。
多くが、資本主義のルールに苦しんでいる
それが、私の苦しみの根源のすべてであったと思う。
自分自身はあくせくしたくないんだけども、馬鹿な奴らに馬鹿にされるのは耐えられないから、不本意ながら、好きじゃない営業活動をやるしかなかった。
しかも、ただ金を稼ぐだけの奴らとは同レベルになりたくなかったから、よりハイレベルの大義を自分に課してしまって、結局動けなかった。
そして、どん底20年。
「人生に大義を求めたら、何もできなくなる」も参照ください。
人生に悩む人の多くは、結局、私と同じようなところで悩んでるんじゃないか?
馬鹿な奴らに馬鹿にされながら、好きじゃない仕事をやらざるをえないことに。
「私は甘いですか?」と「食うためだけに、なぜ長時間働かされる?」も参照ください。
資本主義のルールは、人間の宿命
これは人間に生まれた宿命だ。
一昔前なら、生まれた家の身分次第で、一生虫けらにされたわけだし。
比較的平等といわれる縄文時代の狩猟社会にあっても、体力のある方が優位に立っただろうと思われる。
所詮はサル山。
いつの時代も、ただ一つの基準で優劣が決まり、序列ができる。
「人間は神にはなれない。サルだ」も参照ください。
だから、今の時代に、金を稼ぐ意欲と才能なく生まれ育ったのは、不幸とあきらめるしかない。
私たちが悪いのではない。
そういう運命なんだ。
「使命なんて、探してもわからない」も参照ください。
金儲けが苦手なら、取れる手段は2つだけ
そこで、私たちが取れる手段は、2つだけ。
馬鹿にされても気にしないようにするか。
質素な生活をできる程度には、何とか自力で稼げるようになるか。
そのためには、
・他人の評価は気にしない。
・何でもいいから稼げるようになるまで、ゆっくりコツコツ続ける。
「泥沼の中でコツコツ続けるために、一つに集中しない」も参照ください。
うまくいくとしたら、これらしかない。
私が20年間のどん底で学んだ最重要処世訓は、まさにこの2つ。
質素な生活で満足できるならハードルは低くなるから、その分幸福だ。
一番不幸なのは、金を稼ぐ意欲も才能もないくせに、人並み以上を欲しがる人だろう。
そうならなかっただけでも、有難いことと思おう。


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