望みが叶っても、結局は失望する
望みが叶ったとする。
その瞬間はうれしいだろう。
でも、想像していたほどには、うれしくないだろう。
なぜなら、望んでいることに関しては、過剰に美化して考えているから。
現実は想像通りには絶対ならないから、少しがっかりするところはあるはず。
さらに多くの場合、望みが叶った結果、新しい負担を背負うことになったと気づくだろう。
例えば、望みの地位を手に入れたとする。
当然責任とプレッシャーが増える。
望みの恋を手に入れたとする。
もう、一人で自由には過ごせない。
そして、苦しみが始まる。
望みなんて叶わなければよかったと後悔することだってある。
苦しみはなかったとしても、叶った望みにはすぐ満足できなくなる。
そして、別のものがほしくなる。
つまり、望みが叶うとは厳密には、少し物足りない達成感を得て、その後に失望を味わうこととも言える。
そして、その次は、もっと大きな望みを叶えなければ、満足できなくなる。
そして、また失望する……。
恐れていたことが起きれば、視野が広がる
逆に、恐れていたことが現実になったとする。
一時的には、ショックで落ち込むだろう。
でも、思っていたほど悲惨じゃないということには、すぐ気づくだろう。
なぜなら、恐れていることに関しては、過酷な地獄を勝手に想像しているから。
でも、現実は、十分耐えられるレベルであることがほとんど。
ナチスのユダヤ人収容所ですら、人は慣れたという。
そのレベルの地獄を経験することは、滅多にないけど。
十分耐えられることがわかった以降の経験は、新しい発見の連続となる。
なぜなら、世界が逆転するから。
今まで見えてなかったことが見えるから。
視野が広がる。
発想が大きく転換される。
望みすぎず、恐れすぎず
そう考えると、望みが叶うことはさほど素晴らしいことでもなく、望まないことが起きるのもさほど恐れなくてもいいと思わないか。
やっぱり、人生塞翁が馬。
望みすぎず、恐れすぎず。
運命に任せておけば、いいようにやってくれるんじゃないか?


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