年寄りになったら、みんな平等
年寄りになったら、みんな平等。
持って生まれた天才も血のにじむような努力も関係ない。
無敵のアントニオ猪木さんも入院闘病中。
華麗なフィールディングの長嶋茂雄さんも杖ついてる。
妖艶で、何をやらせてもかっこよかった沢田研二さんも、もっさりした爺さんに。
また、どれだけ出世しても、役職失えば、ただの年寄り。
せいぜい大きな家に住んでるとか高級品持ってるとか、本人ではない、所有物の違いだけ。
威張ったところで、体が弱って頭の働きの鈍った年寄りでしかない。
どういう年寄りになるかが、人生最重要の問題
それでも、人間一生成長し続けるのなら、人生の最後にどういう人間に成長したか、多くの場合、どういう年寄りになったかが、人生最重要の問題になるのではないか。
それに比べれば、年寄りになるまでの過程はあまり重要ではないだろう。
未熟な段階で成したことなど、成長した自分から見れば、ほとんどが恥でしかないはずだから。
成功と言えそうなものでも、もっとうまくやれたのにと後悔するのが普通。
自分の過去を思い浮かべても、そうでしょ?
例え最低の人生を生きたとしても、最高の学びを得たなら、すべては報われる。
逆に華やかな人生であったとしても、人間として成長がなければ、何の価値もない。
例えば、元高級官僚が、罪のない若い母子を自分のミスで殺して、車の異常だとしらを切っている。
一方で、元凶悪犯が自身の死刑を前に、達観した静かな心情と懺悔の念を非常に美しい文章で表現して感動させてくれたりする。
どちらが人間として、より成長したと言えるだろうか。
理想の年寄りへの道は、無限にある
だから、人生の目的は、理想の年寄りになること、それ一点でよいのではないだろうか。
人生のほとんどは、その一点に向かう長い準備期間にすぎないと。
あなたの、理想の年寄りとはどのような人間だろう?
もし、所有物の立派さで評価される年寄りを目指すなら、選べる道はかなり限られる。
一方、それ以外のもの、人格とか経験とか知見とか教養とか、無形の価値を理想の年寄りに求めるなら、実現する道は無限にある。
今どこで何をしていようと、全く予想外の裏ルートから道がつながったりもする。
どこへ行こうと、あきらめなければ、必ずたどり着ける道がある。
「人生、死ぬまで鍛錬と学びだ」と「「人生百年」なんてとんでもない。「人間五十年」で十分だ」もご参照ください。


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