60年近く生きてみて、結局は、自分が本心で望んでいるような人生になってたんじゃないかって思う。

 

叶わない夢は、イカサマの夢


 

憧れのプロ野球選手やロックスターには縁がなかったけど、それに向けての何の努力もチャレンジもしてないし、本心で望んでいなかったのは明らかだろう。

ただ、かっこいいと思っただけだから。

スポーツも楽器の演奏も才能なかったから、好きってわけでもなかったし。

 

ノーベル平和賞受賞して世界史の教科書に載るという、とんでもない馬鹿な夢も叶わなかったけど、これもカッコつけたかっただけだから。

自分を犠牲にして社会に奉仕しようなんて殊勝な心掛けはみじんもないくせに、ノーベル平和賞なんて、今思えば、本当に恥ずかしすぎる。

 

30代半ばから40代にかけては、まったく思い通りにならない人生に本気で苦しんでいたけど、それも、本心で望んでいないことを求めていたから。

カッコつけたいだけの理由で、社会的に出世したかった。

でも、バリバリ働いて組織に貢献しようなんて、全然思ってなかったし。

所詮金儲けの競争で勝つための、低俗な技や知識を磨くために、努力し続けるなんて馬鹿馬鹿しいと思ってたし。

まして、他人の金もうけのお手伝いの犠牲になるつもりなんて、まったくなかったし。

いいカッコはしたいけど責任負わされるのは御免だってのが、本心だった。

 

そして、本心で望んでいないから、すぐ結果が出ないといやになる。

俺の能力を認めないのは、上位陣に人を見る目がないからだろうと考えて、職を転々とした。

結果、出世などするわけがない。

 

結論として、本心で望まないことは叶わない。

 

引き寄せは、無意識でこそ働く


 

一方で、本心で望んでいることなら、何が何でもやろうとするんじゃないか。

それはもう理屈抜きで、体内にセットされた時限爆弾のように動き出したら止められない。

メリットがあるかどうかなんて問題じゃない。

むしろ、社会的にはデメリットとなるかもしれない。

でも、やらずにはいられない。

そして、本心から望んでいるから、結果を焦らない。

忍耐強く、地道に取り組める。

 

そういう意味で、引き寄せの法則ってのは、意識しないところでこそ働いていると思う。

本心で望んでいることは、自分で抵抗しない限り、どうせやることになるから。

それを無理に抑えようとするから、うつ病になったりする。

 

私の場合、古典の読書、貧乏旅行、運動、など。

どれも価値あることなのは認めるだろうけど、当然、仕事を優先しろとなるのが実情。

実際、社会的には不利な結果となり、むしろ軽蔑されている。

でも、長く生きてみれば、そんなことはどうでもよくなる

やりたいことやった満足感の方がずっと強い。

 

成功しないのは、他人に認められたいと本心で思ってないから


 

だから、引き寄せによってやりたいことはできる。

だけど、結果は保証されない。

なぜなら、結果は他人によって決まるというケースがほとんどだから。

 

例えば、何かで優勝したいとする。

同じように優勝したい他人がいっぱいいるわけだから、全員の思い通りになるわけがない。

あるいは、特定の誰かと結婚したいとする。

もちろん相手にも好みがあるわけで、望みが叶わないことは当たり前にある。

この辺り、最後は運と縁。

個人のコントロールを超えている。

 

社会的地位が欲しいなら、他人に認められなければ手に入らない。

だが、実力があっても、認められないことはよくある。

逆にクズみたいなやつが認められることも、よくあるんじゃないか?

お金も同様、宝くじにでも当たらない限り、他人に認められなければ、稼げない。

 

他人に認められる人というのは、本心で他人に認められることを望んでいる人。

本心で望んでいるから、認められるためなら、何でもできる。

言い換えれば、他人の基準に合わせて自分を変えられる。

そして、本心で望んでいるから、なかなか結果が出なくても、それをずっと続けられる。

 

引き寄せ、引き寄せと騒ぐ人は、社会的成功や金を引き寄せなさいとあおるけど、それらを引き寄せるためには、何が何でも他人に認められたいと本心から望まないと無理な気がする。

そこをしっかり説明しないから、社会的成功が引き寄せられないと、勘違いして苦しむ人が大量に生まれる。

 

もし思い通りにならないと悩んでいるなら、それは本心で望んでいないことを求めているからじゃないか?

それに気づけば、楽になるかもしれない。

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