イヤなことが多い中でこそ、深い思想が生まれる


いいことばかりだと、人間、あまり学ばないんじゃないか。

 

必死になって答えを求めるのは、うまく行かなくて、どうしようもない時だろ。

危機感や絶望感が強ければ強いほど、激しい切迫感で。

答えが見つからなければ死ななきゃいけないみたいに。

ワラにもすがるつもりで、何でもかんでも、あやしいのも含めて、手当たり次第に試さざるをえない。

そして、必死になって、繰り返し繰り返し考える。

そうやって、練りぬかれた深い強固な思想が育っていく。

 

一方で、いいことばかりの時に学ぶことって、小手先のテクニックばかりになる気がする。

どうやれば、時代に合わせて、もっとうまく生きていけるかみたいな。

よくばって、かっこつけたくなるから。

一時的な時代の変化を追いかけて、その時限りの処世術を学び、考える。

表面的な知識は増えるかもしれないけど、根源的なレベルまで掘り下げる必然性がないから、軽い。

また、傲慢になるから、自らを謙虚に省みることもない。

だから、世間一般の耳ざわりのいい通説に流されやすく、独自の深い思考には発展しにくい。

 

これ全部、かつての私の話。

 

実際、成功者と言われてテレビに出てるような人の言葉って、軽く感じないか?

弁舌はなめらかだけども、口先だけで言ってるような。

難しい言葉を使うけど、ただの言葉の遊びみたいで、心に響かない。

 

それに対して、地獄をくぐってきたような人の言葉って、ものすごい迫力あるだろ?

 

イヤなことが多いなら、最高の自分になれる


地獄とまで言わなくても、イヤなことが多い人生を、それでも腐らず正しく生きようと思っている人が、答えを求めて考えれば考えるほど、深い強固な思想が練られていくと思う。

それは、いいことばかりの人生を生きてる人には、とても到達できない境地のはず。

 

そうやって、イヤなことが多い中で自分独自の思想を固め、「本心で望むような人生になっている」で書いたように、本心から突き動かす衝動に従って、やりたいことをやったなら、最高の、強烈な、自分の個性が完成するんじゃないか。

言い換えれば、最高の自分になる。

馬鹿にされようが嫌われようが、そんなもん関係ない。

それこそが、人生最大の使命であり生きるべき運命ではないかと、思ったりする。

 

今、イヤなことが多くて苦しみ、必死で答えを求めている人は、順調に自分の運命を生き、最高の自分になる過程にあるのかもしれない。

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