成功の価値(わたしの場合)


年取って、夢を追っても、いつまで生きるかわからないから、モチベーションを保つのは難しい。

だけど、このまま何もしないのも、許されない気がする。

 

金持ちになりたいとか偉くなりたいとか、そういう個人的に成功したいという思いは、まったくない。

そんなこと、今さらどうでもいい。

 

でも、自分が何らかの成功をすれば、自分と似た立場の人に希望を与えられるし。

こうやればうまくいったというモデルケースも提供できるだろうし。

また、金を稼げたなら、寄付もできる。

そういう意味で、自分の成功には、そこらの成金連中のものより、よっぽど価値があるはず。

あくまで成功したらの話だが。

 

さぼると、死んでからがこわい


そんなこと考えるのも、わずかだが、成功の可能性はないわけではないと思ってるからで。

だから、できるだけのことはやっておかないと、死んでから怒られるかもしれないと。

 

誰に怒られる?

地獄の閻魔さんみたいな存在に。

特定の宗教は信仰しないけど、善をつかさどる人間を超えた存在、俗に言えば神はいると、頭の奥の方に刷り込まれてるんだよ。

 

もちろん根拠はないし、この世の悪を罰してほしいという希望が生み出した、ただの妄想かもしれんのはわかってるけど。

でも、死後の世界という考えがなければ、私はそもそも生きる気がしない。

こんなバカげた、つまらん世の中、しんどいだけなのに、最後は土になるために生きてられないよ。
ネガティブな私のスピリチュアル」もご参照ください。

 

大器晩成を期待して、ゆっくり進み続ける


そういうことで、最後まで、少ない可能性に賭けるしかないんだけども。

と言っても、モチベーションは低いから、ゆっくりしか進めない。

 

逆に、モチベーションが低いから、焦らない方がよいくらい。

焦って結果が出ないと、すぐイヤになっちゃうから。

イヤになると、立ち直りに時間がかかる。

若い時なら時期を待つって判断もあるんだけど、もう、そんな余裕ない。

残された時間は限られてるから、少しずつでも進まないと。

止まってるのが、一番まずい。

 

だから、無理にでも、続けられるだけのモチベーションを持つ必要がある。

でも、具体的な成果を期待するようなモチベーションでは、現実味が薄いから、機能しない。

 

どうせ現実味がないなら、むしろ、運命のような、人智を超えた境地の方が、頼りやすくないか。

自分は大器晩成の運命なんだと、まったく根拠のない期待を持ち続けて。

最後は、神に頼るしかないだろう?

善良に、できることをコツコツやっていれば、神が味方してくれると。

 

それで最後まで続けることができたら(できなくても)、それが自分の限界であり、つまり、自分のベストなわけだ。

結果的に何もできなかったとしても、できるだけのことはやったという納得感はあるだろう。

何もできなかったら、自分のベストは、サルの社会には適合しなかったというだけのこと。

何も恥ずかしいことはない。
人間は神にはなれない。サルだ」もご参照ください。

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