「寝そべり族」がベストの選択
中国で問題になっているという「寝そべり族」と呼ばれる若者たち。
最小限の仕事だけして、結婚もぜいたくもしない生き方。
私も、まったく賛同。
愛はどうせ冷めるし、今のような社会で子供ができたらかわいそうだし、なぜ、わざわざ結婚したい?
ぜいたくして、何が楽しい?
しかも、それらを得るために、長時間拘束され、エネルギーをすり減らされ、心正しい人は良心の呵責に苦しめられることだってある。
そこに幸福があるのか?
「金持ちより貧乏がよい理由」と「やっぱり、子供を作ろうなんて身勝手すぎる」も参照ください。
それでは経済が発展しないという。
なぜ発展する必要がある?
環境破壊が進む中、特に先進国の国民は地球に住むものとして許されないぜいたくをしているというのに。
これ以上、何を求める?
貧しくなる方が、地球および全生命のためになる。
「今うまく行っていない人にしか、地球は救えない」も参照ください。
環境が改善・保持され、子供たちが抑圧の恐れなく安心に暮らせるような社会になるまでは、「寝そべり族」がベストの選択のように思う。
でも、「寝そべり族」は、ものすごく馬鹿にされるだろう。
何も考えず、結婚して子供を作るのが当たり前で、ぜいたくするのが幸せだと、純粋に信じてる単純で無知な多数派に、人間のクズのように扱われるだろう。
どん底時代の「照ノ富士」をイメージする
そこで、「照ノ富士」を目指す。
大相撲の世界で、第2位の地位である大関まで若くして一気に出世し、すぐに最高位の横綱になるだろうと言われていた。
ところが、大ケガに大病も重なって相撲を取ることすら難しくなり、どんどん地位が下がって、下から2番目の序二段にまで落ちてしまった。
大関は月給250万円で、3~4人の下位の力士が付け人として身の回りの雑用をすべてやってくれる。
序二段は無給で、当然付け人などおらず、自分のことは全部自分でやらなければならない。
つまり、雲の上にいた人が、入門したての新弟子のような力士たちと同列の扱いになった。
天国から荒地に落ちたような待遇差。
屈辱感は、相当のものだろう。
本人も、当然、何度も相撲を辞めようと思ったらしい。
その都度、師匠に説得されてとどまった。
勝算がどの程度あったのかはわからない。
体もまともに動かせない状態だったわけだから。
それでも、ついに、大関に戻り、その上の横綱にまでたどり着いた。
この、どん底時代の「照ノ富士」をイメージしてみる。
もちろん、目指すのは、世間的な出世とか富とかではない。
自分が、本心から求めているもの。
純粋な自分の価値観に基づくもの。
「寝そべり族」として最低限の生活を守りながら、自分の世界の横綱を目指す。
それが、最高の生き方じゃないか?
自分の世界が世間にも共感されたら、その人は天才と呼ばれるかもしれない。
あくまで可能性の話だから、期待はすべきでないだろうが。
「自分の精進に集中して、評価は他人の好きに任す」も参照ください。


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