また失敗した理由
今度こそ貿易商になろうと、コロナ禍の中、海外メーカーと商談を進めていた。
お金も払って、あとは先方の出荷を待つだけという段階になって、先方でトラブル発生。
また、ポシャってしまった。
また、ゼロからやり直し。
経営どころか、スタートすらできない。
すでに商売やってる人達からすると、馬鹿にしか見えないだろうね。
商才ないどころか、そもそも商才がほしいとすら思ってないし。
さらには、商売が好きで始めようってわけでもないから、モチベーションも高くない。
当然の結果と言えば、そうだろう。
でも、実は、簡単にうまく行くことは、本音では望んでないんだよ。
それだと、軽すぎて、価値がない気がして。
逆に、ものすごく不器用に、泥臭く、かっこ悪く、情けなく、馬鹿にされながらも、しつこく取り組んで、それで最終的に、なんとか形にはなりましたってのが、いいなと思ってる。
(だから、苦労を引き寄せてる。)
「引き寄せの法則があるから、高潔な人は苦労する」も参照ください。
結果を求めるのはやめた
でも、なぜそう思うのだろうか?
結果は重視してないんだよな。
金儲けが下手でも、全然恥ずかしいとは思わないから。
正直、金儲けは下手な方が、かっこいいくらいに思ってるから。
むしろ、やりぬく根性みたいなものが欲しいと思ってる。
やりぬいたなら、結果は失敗でもいいみたいな。
そもそも、結果を求めたら、難しそうなことはとてもできないんじゃないか。
結果を期待できないなら、やめておこうってなるから。
だから、ちょっと自信をなくしたら、それだけで続かなくなっちゃう。
そして、別の分野で、結果が期待できそうなことがないかを探してしまう。
そして、自分には何も大したことはできないと気付いて、でも、それを認めたくないから堂々巡りを続けて、時間を空費する(これ、すなわち私の経験)。
だから、結果を求めるのはやめた。
(意図してやめたと言うよりも、60歳近くなって、今更結果求めても仕方ないだろうって開き直りだけどね。)
「夢は、叶えるためにある」なら、ふつうのメンタルではチャレンジできない
「夢は、叶えるためにある」と言う人いるけど、その考えで難しいことを成し遂げたなら、相当メンタル強いよ。
(女子サッカーの澤穂希さんとか、その考えで世界一になったけど、完全に超人メンタルだ。
マネできると思うなら、やってみな。)
「夢は、叶えるためにある」なら、叶わない夢は持ってはいけない。
つまり、結果が期待できないなら、そんな夢は捨てなさいということになる。
よって、ふつうのメンタルなら、確実にできると思うことしかできなくなるだろう。
チャレンジなんてのは、できなくなるはず。
夢は、追いかけている時が一番幸せ
ところで、夢は、叶ったところで、大抵の場合は、がっかりするんじゃないか。
夢が叶うまでは、夢が叶った時の姿を、かなり美化して想像しているだろうから
(また、そう思わないと、モチベーションは保ちにくいから)。
だから、現実になった時には、想像してたほどではないと思うことが、ほとんどだろう。
むしろ、それは、新たな苦しみの始まりに過ぎないかもしれない。
あるいは、燃え尽きて、無気力になってしまうか。
「望まないことが起きるのも悪くない」も参照ください。
結局、夢は、追いかけている時が一番幸せなんじゃないか。
言い換えれば、夢は叶えず、追い続けるのが一番楽しい人生かもしれない。
だから、夢は、叶えるためではなく、追い続けるためにあると、私は言いたいね。
少なくとも、ふつうのメンタルであるならば。
叶っても叶わなくてもいいから、追い続ける。
叶わないと意味がないと思って止めてしまえば、ノーチャンス。
どっちでもいいと思って追い続けていれば、いつか、結果として叶ってしまうかもしれない
(それが幸せかどうかは別問題として)。
もちろん、叶わなくても、悶々と時間を空費するよりは、刺激のある人生になるはず。
「馬鹿にされても続けられるものがあれば、満足な人生になる」も参照ください。


人気ブログランキング
コメント