正直、悟るために生きてます

私が自殺しない理由

やりたいこと全部やったから、正直、早く死にたい。

長く生きれば、それだけ、やりたくないことやらなきゃいけなくなるから。

ボケたり、体が動かなくなったりするのもこわいし。

それでも自殺しないのは、自殺は許されないという宗教上の教えを聞いたから。

それが、心の底に刷り込まれている。

かつてのローマ帝国では自殺は肯定されていたというし、そもそも「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」だから、本当に自殺がダメなのかは不明だけど、死なないと確かめられないからこわい。

本当に永遠の罰を受けるなんてなったら、たまらんから。

神などおらず、死んだら土になるだけだと本気で信じていたなら、生きるのはもっと楽だったろう。

自殺という完璧な解決策がいつもあるわけだから、安心だ。

でも、私には、上記の理由から、残念ながら自殺という選択肢はない。

神がいるとして、なぜ私を生かしているのか

では、もし慈悲深い神がいるとして、なぜ、早く死にたい私をまだ生かしているのだろうか。

地球にとって最も有害な生物である人間の一人として、どう生きろと言うのだろうか。

正義を求めたら、ますます生きづらい人間社会だ。

そんな社会を変える力など私にないのも、はっきりした。

結局、もっともっと苦しんで自分を磨きなさいということしか、思いつかない。

苦しんで、悟りたい

苦しめば苦しむだけ、必死で答えを求める。

真理を探し、考え抜いて、思想を深めていく。

一方で、馬鹿にされ、ズタズタになりながらも、わずかな気力をかき集めて前に進もうとするしかない。

目の前に希望もなく、先の見えない暗闇の中を這いつくばるように。

だから、本当に強くなる

(いい時は誰だって強くなれる。

でも、逆境に耐える本当の強さは、苦しみの中でしか鍛えられない。)

そして、悟る。

もちろん、完全に悟れるなんて思っていない。

でも、その境地には、少しずつ近づいていけるだろう。

馬鹿な人間社会での世俗的な成功など、つまらぬこと。

私の求めるものは、そんなものとは比較にならないくらい大きく、価値がある。

と、私は思っている(が、他人は軽蔑するだろう)。

なお、きびしい僧侶の修業をするだけの根性はないが。

ひょっとしたら逆に、金稼いで、例えば宇宙にでも行ったら、それで悟れるのかもしれんけど、私にそのやり方は無理だ。

やりたいとも思わん。

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