運命はコントロールできないと断言できる理由
過去にも書いたけど、運命は、決まっていないとしても、自分ではコントロールできないと、私は断言する。
運命は努力で変えられると言うか?
天性の性質はコントロールできない
まず、努力をするには目標が必要だろう。
どんな目標を持つのか、あるいは持たないのか、これらは天性のもの。
人に勝ちたいとか認めてもらいたいとか、それは個人の性質の問題で、金を稼ぎたいとか偉くなりたいとか、誰もが思うわけではない。
心が望まないことを、本気で目指すのは無理だ。
そして、心が望むことは、意志ではコントロールできない。
さらに、目標があったとして、努力を続けるのに十分な忍耐力・克己心を持っているか。
これら精神面においても、自分ではコントロールできない天性の個人差が歴然とある。
加えて、自分ではコントロールできない才能の問題も。
まわりの環境はコントロールできない
次に、本人に目標と十分な資質があったとして、自分ではコントロールできない、まわりの環境の影響がある。
例えば、今の日本では、親の貧富によって受けられる教育にはっきり差がついてしまう。
逆に、本人は例えば芸術家になる目標を持って努力したいのに、親は、安定した仕事につかせようと強制するケースも多いだろう。
何と出会うかによっても、人生は大きく左右される。
自分をよい方向に導いてくれるものと出会えれば幸いだが、逆に悪に引きずりこむ出会いもある。
悪意ある環境でいじめられた経験があれば、良くも悪くも人格に影響するだろう。
人生は、なるようになっているだけ
結局、運命とは、持って生まれた性質をまわりの環境の影響で変化させ、それに偶然の運(たまたま、雨だったとか電車が遅れたとか)も絡んで、できあがっていくもの。
自分の「意志」だと思っているものも、結局は、持って生まれた性質が周りの影響で変化したものに過ぎない。
つまり、運命はコントロールできない。
人生は、なるようになっているだけ。
あの時別の行動を取っていれば、おそらく人生は変わっていただろう。
でも、持って生まれた性質とあの時までの環境の影響で出来上がった、当時の自分には、別の行動は取れなかったのだ。
あの時別の行動を取らなかったのは、運命であり必然だった。
だから、今成功してるとか失敗してるとか、それはたまたま、そういう運命であったというだけのこと。
別に、いばることでも恥じることでもない。
塞翁が馬は、悠久の教訓
では、成功する運命にないなら、不幸か?
自分に関して言えば、もし成功していたら、ものすごいイやな奴になっていただろうと思う。
さらには、ものすごい単純バカになっていただろうと思う。
人生の深いところを考えることはなかっただろうから。
また、いずれにせよ、成功者の人生は、私の性格的に耐えられなかっただろう。
成功者としての人間関係って、つまらない奴らが多そうだし。
倫理観から自分が情けなくもなってくるだろうし。
成功したら、逆に不幸だったんじゃないだろうか。
誰もが同意するかはわからないけど、やはり「人間万事塞翁が馬」じゃないか。
ざっと言えば、幸運と思ったことが悪い結果を生んだり、不運と思ったことがよい結果を生んだりするってこと。
紀元前2世紀の中国の「淮南子」という書物に書かれてから、2000年を超えても教訓として生きているってことは、真理をついてるからだと思う。
一方で、成功者が無条件で偉いってなったのは、せいぜい、ここ20年程度の話だろう?
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