やりたいことやったら、あとは悟るための修行だ

なるようになっただけだが、楽しい人生だった

・商才などはない方がかっこいい

・人づき合いは苦手な方がかっこいい

・人間ぎらいの方がかっこいい

中学くらいからかな、本気でそう思って、60歳近くなった今でも、やはり、そう思ってる。

しかも若いころは、それでも成功できると思ってた。

なぜなら、間違っているのは社会の方だから、変わるべきは社会だと思ってたから。

バカでした。

(でも、それを恥ずかしいとは、正直思ってない。)

結果、金が稼げないから、馬鹿にされる。

人間ぎらいで人づき合い苦手だから、悪人と言われる。

初めから、そのような考えを踏まえて職業を選んでいれば(例えば、地味な研究職とか)、もっと生きるのは楽だったんじゃないかと思うけど、もっと派手な世界で活躍できると思ってたからね。

それでも、これまでは、有意義で楽しい人生だった。

やりたいこと全部やったし。

今死ねたら、本当に幸せな人生だったと満足できる。

これからは、さらに生きにくくなるだろう

言うなれば、今が人生の絶頂期。

だから、これから生きるごとに、その、せっかくの幸福感がどんどん減っていくと予想される。

まず、金の問題に苦しむ可能性がある。

さらに、技術の発展にますます追いつけなくだろうし、体力や頭の働きももっと衰えるから、一層馬鹿にされるだろう。

それにつけこんで、不条理や不正にも、これまで以上にさらされることになりそうだ。

生きにくい中にこそ、悟りのチャンスがある

そんな中、金がなくても馬鹿にされても、さらには不正の被害に会っても、心を動かさず、本心から笑っていられるような人間になれれば、ほぼ悟りの境地に達したと言えるのではないだろうか。

金がないなら、ないなりに生きればいい。

(生きられないなら、生きなくてもいい。)

馬鹿にするのも、他人の勝手。

不条理なのは人間の本質で、社会に不正があるのは当たり前。

全部、そのまま受け入れて、笑い飛ばす。

昔の漫画で出てきそうな、豪快なオヤジのイメージ。

そうなれれば、最高だ。

それを目指すための、厳しい修業が始まった。

逆に言えば、チャンス。

金がなく馬鹿にされてる人間にしか、たどりつけない境地だろう。

根性なければ、もちろん、耐えられない。

実際のところ、馬鹿にされ続けた過去のおかげで、馬鹿にされても笑っていられる境地には、かなり近づけたように思う。

一方で、今はまだ、金に困る状態への恐怖感が強いし、不条理や不正には強い怒りを感じるけど、これらも同様、慣れてくれば、笑える境地に近づけるかもしれない。

想像するだけで苦しそうだけど、より高い境地に達するための修行だと思えば、逃げるわけにはいかないな。

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