65歳以上の7割が「生きがい」を持っている


65歳以上の7割が「生きがい」を感じてるという。

正直、驚いた。

 

こんな社会を65年も生きて、まだ人生楽しいのか?

いい加減、懲りないのかな。

それに、死がすぐそこに迫ってるはずなんだけど、心の準備はできてるのか?

 

私は、「生きがい」がほしくない


ちなみに、私はまだ60歳になってないけど、すでに「生きがい」はない。

ほしくもない。

そこそこ楽しめることもないわけじゃないけど、そのために生きたいとまでは思わない。

むしろ、いつでも死ねる状態でいたい。

 

何より、人間というバカで残酷な動物との付き合いにはもう疲れた。

「人間五十年」超えて付き合ったんだから、もう十分だろう?

 

また、自分が生きれば、それだけ資源や食料が消費されるわけだが、できるなら、その分を貧しい家庭の子供たちにでも分けてあげた方が有効活用になる。

自分としても、体が動かなくなったり、ボケたりするのが一番こわいから、そうなる前に死んだ方が助かる。

だから、本当は、私などは早く死んだ方が、世のためにも自分のためにも望ましいと、最近、つくづく考えるようになった。

 

もし私に社会を良くする力があるのなら、長く生きるべきだろう。

例えば、ねずみ小僧か仕置き人にでもなれるなら、それは強い「生きがい」にもなっただろうけど、残念ながら、そんな技術はない。

 

それでも、いつ死ぬかは、自分で決めずに運命に任せましょう。

自然に従うのが、一番間違いないだろうから。

ベストのタイミングで殺してもらえますよ、たぶん。

 

そして、「生きがい」ではないけども、暇つぶしに、古典の良書を読み、日々反省して心を磨き、少しでも立派な人間になれるように精進しましょうと。

学ぶ気があるなら、長く生きた分だけ多く学べるから(もちろん、学ぶ気なければ、長く生きてもバカのまま)。

社会を良くできない私には、そのくらいしか、さらに生きる目的が思いつかない。

 

年寄りに「生きがい」は邪魔


メディアでは、逆に、2割が「生きがい」を感じていないことを問題視しているようだけど、死を前にして「生きがい」なんて必要か?

そんなもの、むしろ邪魔だろう。

年寄りは、粛々と死を待ちながら、せめて最後くらいは謹んで生きるのが美しいと思いますが。

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