実は、昔の仲間は偉くなっている
実は、若い頃に結構仲良かった連中が、今は、誰もが知ってるような組織で取締役になったりしてる。
もちろん当時は対等の関係だった(むしろ、こっちの方が偉そうにしてた)んだけど、25年くらいで雲泥どころではない差がついてしまったね。
こっちが泥沼で動けなくなってる間、彼らはしっかりと出世街道を歩んでいたわけで、でも不思議と、負けたとか悔しいとかいう感情はないんだわ。
「人生失敗?それはすばらしい!」も参照ください。
私だったら、あのようなポジションは、2か月も耐えられないだろうから。
プレッシャーかけられて、気を遣って。
もう気が狂うんじゃないかって・・・考えただけでゾッとする。
あんなポジションに耐えられる彼・彼女らは、それだけで、すなおにスゴイと思う。
尊敬はしないけど。
結局は、人生なるようになっている
そんなこんなで、60歳近くなって思うのは、結局、なるようになってるってこと。
人生は、できないことをやるようにはなっていない。
「取締役」よりも、今の自分の方がずっといいと本心で思ってる。
「実は、自分が望む生き方をしている」も参照ください。
数ある選択肢の中から選んだ道を進んだ結果が、今の自分。
昔は社会に認めてもらいたいと思ってたけど、今はそんなこと全く重視していない。
社会的地位が低ければ人格・知性まで否定されてしまうのが世の中だけど、だからこそ、死ぬまで自分流を貫いてやろうと思う。
認められようと自分を曲げて、それで馬鹿にされたら、一番あほらしいだろ?
私の存在価値は、社会的評価とは関係ない。
そう思うと、気が楽になる。
「認められることをあきらめた時、本当の自分になれる」も参照ください。
