究極のネガティブを突き抜けた先に

六十前にして惑ってる

孔子先生は言った

「四十にして惑わず、五十にして天命を知り」。

一方、私は六十前にして、まだまだ惑ってる。

一生惑い続けることこそが私の「天命」かもしれないと、思ってるくらい

(つまり、天命もまだ知らない)。

私のような凡人が孔子先生と同じにできるわけないから、当然の話。

長く生きれば、それだけ知識も増えていくし、それまで思いもしなかった別の視点にも気付く。

それゆえ、考えが変わっていくのは当たり前だろう。

むしろ、凡人が「四十にして惑わず」なんて本気で思ってるとしたら、それは成長が止まってる証拠。

今は究極のネガティブ路線

ということでまだまだ惑ってるから、このブログでの主張も全然一貫しない。

矛盾だらけなのは、自分でもよくわかってる。

人生うまくいかない人を元気づけるつもりで書き始めたんだけど。

それが最近は、「人間は地球上で最も有害な存在」とか「人生はアホらしい」とか、究極のネガティブ路線。

正直に思うことを書こうとすると、こうなってしまった。

実際、まじめに学んで考えたら、普通にネガティブに行き着くんじゃないか。

ちまたで称賛されているポジティブ思考ってのは、自分さえよければそれでいいといった、とても身勝手な思考のように思えてきた。

究極のネガティブでは終わらない

ただ、私も、究極のネガティブでは終わらない気がしている。

この究極のネガティブを突き抜けた先に、新しい視界が開けるのではないかという期待がある。

ゲーテが80歳を超えて書きあげた大作「ファウスト」の結末で、人生に絶望し悪魔に魂を売った主人公が、自らの死を前に「時よ止まれ おまえは美しい」と言う。

その心境が、これまで実感として全く理解できてないのだけど、それがわかるかもしれない。

実は、「最も有害な存在」の一人として「人生はアホらしい」とわかりながら生きること自体に、人生の最も深い意味があるんじゃないかとすら、今は思ってる。

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