ライブドアブログに引っ越しました。
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よろしくお願いいたします。


60
歳直前になり、いつも死を意識している中、残された人生をいかに生きるかを毎日考えている。

死を意識してやりたいことに理屈はいらない

 まずはやり残したこと最優先だ。

私の場合、

・よく理解するためにもう一度読んでおきたい本が結構ある

・名作といわれる古い映画で観てないものは、できるだけ観たい

・子供の頃好きだった特撮・アニメ番組で観れるものは、もう一度観たい

 

自問する。

なぜそれらをやりたいのか?

 

やはり、認識を深めるため。

社会とはどのようなもので、人間としていかに生きるべきかをもっと深く知りたい

(特撮・アニメも、私の原点だから)。

 

さらに自問する。

先は長くないのに、そんなこと知って意味があるのか?

まだまだ活躍できる年齢ならばともかく、いかに生きるべきかを実践する時間はもうほとんどない。

(もちろん、若い間に知って実践したかったし、そうするつもりだったのだが。

あまりに深くて大きなテーマだから、ズルズルと時間がかかってしまった。)

 

でも、

先が長くないからこそ、もう理屈などはどうでもよい。

心からやりたいことはやるべき。

死ぬ時に後悔する人生が最悪のはず。

だから、やる。

 

(ただ、本当にあと数か月で死ぬとわかったら、認識を深めるより、思い切り低俗なことをまずはやるだろうけれど。)

 

突然の思い立ちは天の導きかも

それから、優先順位は落ちるが、資格を目指してみようかと突然思い立った。

こういう突然思い立ったことって、大切かもしれない。

俗世間の情報から打算まみれの頭でこじつけたものじゃなく、純粋な直感から自然に生じたものだから。

打算まみれの頭はしょっちゅう間違うが、自然に生じた直感は、ひょっとしたら天の導きということもありえる。

 

考えてるのが、

中小企業診断士

キャリアコンサルタント

日本語教師

 

こういう資格とって金儲けようなんて思ってないし、儲かるとも全然思ってない。

エリートさん達の成功のサポートなんてする気ないし、向こうも相手にしないだろう。

それよりも、人生に苦しんでる人が力を発揮できるように、起業なりキャリア形成なりのアドバイスができたらいいなと思ってる。

日本語教師も、先進国などのエリートさんに教えるつもりは全くなく、貧困国の人たちをサポートするきっかけになればいいなという発想。

 

資格なくてもできることとも言えるが、信用されないだろうし自信もないから。

 

年取って頭も鈍くなってるので難しいかとも思うけど、3つとも、関連サイトで定年後におすすめの資格に選ばれてたから、無謀なチャレンジというわけでもないのだろう。

 

ただ、いつ死ぬかわからん状況で、これだけに集中するわけにもいかんので、ゆっくり。

もちろん、いやになったら、いつでもやめる。

初志貫徹とか、青臭いことにこだわっていられるほどの時間は残されていない。

 

実は、中小企業診断士と日本語教師は30歳くらいの頃に取ろうと思ったことがある。

だけど、その時は、「国」に認めてもらうということに抵抗があった。

留学先や仕事で国家公務員である官僚との関りがあった頃で、彼らを生で見て、「国」の配下には絶対なりたくないと思った。

だから、「国」には頼らずに自力で道を切り開いてやろうと、それ以来、資格のことは一切考えなかった。

 

それが、60歳直前の人生最終段階になって、帰ってきた。

それでいいんだと思う。

勉強したい時に勉強するのが本来の学問の姿。

 

将来の備えのための勉強とか、ものすごくせこい感じがする。

いい大学入っていい会社に就職するために、中学高校(今では、小学校、幼稚園も)と一所懸命勉強する。

それすら、せこいと思う。

本来の学問の目的とは、ずれているだろう?

 

やるべきことなら、最後に帰ってくる

最後にフェアトレード。

簡単に言えば、

末端の零細事業者は、大手の仲介業者に買い叩かれて正当な報酬を得られないため、永遠に貧困の罠から抜けられない。

だから、仲介業者を通さずに直接正当な価格で買い取ることで、末端事業者により豊かになってもらおうというビジネス形態。

当然ビジネスだから、買い取ったものはどこかで売って利益を得なければ、事業は継続できない。

(本来は発展途上国を対象にした考えだったのだけど、今じゃ、日本も同じ状況かもしれない。)

 

これは、35歳くらいで初めて起業しようとした時に考えた事業形態。

本当に、ただの金儲けはやりたくなかった。

社会的に意義のある事業で収入を得るという高い目標を自分に課していた。

 

でも、最終的に無理だとビビッて止めてしまった。

そこから、ひきこもりのどん底に

(それはそれで、価値ある重要な経験だったと思ってるけど)。

ひきこもりのメリット」も参照ください。

 


それが、最近たまたま、名前だけ登録してる貿易団体からフェアトレードセミナーの案内が来た。

かつて無理だと思って諦めたことで今更という感じだったが、かなり迷った末、一応話を聞くだけと思って受講したら、火がついてしまった。

最後にもう1回チャレンジしなきゃダメだなと。

営業が嫌いで苦手なのは十分わかってるから、尻込みするんだけど。

それでも、やらないと死ぬ時後悔するなと。

これも、人生最終段階にして帰ってきた。
運命的な気がしてる。

 

神は、私たちに挑戦することを望んでいる

マザーテレサ曰く

「神は私たちに成功してほしいなんて思っていない。ただ、挑戦することを望んでいる」

 

成功なんてどうでもいいんです。

やってみること自体に価値がある。

 

私は、やりたいことは全部やって、もう十分生きたし。

現実に、年寄りは、社会からは死んでほしいと思われてるわけだし。

やるだけやって餓死なら、本望だよ。

馬鹿で有害な人間の社会に命を賭けて抵抗し、敗れて死んでいった、かっこいい英雄。

と、自分で思っておけばよい。

他人がどう思おうが関係ない。


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