長く生きるメリットはあまりなさそうだ
年寄りは死んでほしいと実際に公言されている中で、60歳超えても生き続ける、個人的なメリットは何かをしばしば考えてきた。
少し前までは、
長く生きれば知見も増えて考え方も変わる、
それが人間としての成長だろう、
だから、長く生きればそれだけ、人間として完成に近づくはずだ、
その意味で、できるだけ長く生きれば、それだけ価値はあると考えていた。
ところが最近、考えが少し変わった。
人間はそもそもがバカで有害な動物なのだから、完成といったところでレベルはかなり低く、全宇宙の中でも底辺の存在だろう、
そんな中で少しでも、ましな存在になりたいとは思うが、私ごときが仮に100年生きても、大きな違いは望めまい。
すなわち、長く生きるメリットは、さほど魅力的ではなさそうだ。
一方で、長く生きるデメリットが強烈なのは容易に想像できる。
寿命まで何をする
それでも、寿命という天が決めるものがある。死んだ後のことは全くわからないから、天が決めることに逆らうのはこわい。
そして、その寿命までが長いのか短いのかがわからないから、当然、何もしないわけにはいかない。
例えば、掃除のアルバイト。
最高に尊い仕事だと私は思っている。
衛生・環境保全には欠かせない、最重要な仕事の一つ。
しかも、他人の汚物を処理するなど、とても苦しい仕事。
並みの根性ではこなせない。
なのに、報酬は少なく、社会からは蔑まれる。
そういう仕事だからこそ、バカで有害な動物の中でも、ましな存在になりやすいはず。
ならば、今それを始めようかと言うと、その前にやっておかなければいけないことがまだある気がしている。
それは、自分だからこその、新しい何かを創り出す努力。
新しいものだから、出来上がるまでは何ができるか想像すらできない
(想像できるなら、それは既に存在している古いものってことだろう)。
ひょっとして、ジタバタやり続けたら、結果として何かが生まれるかもしれない。
もちろん、これまで60年かかって何もできなかったんだから、最後まで何もできない可能性は非常に高い。
それは重々承知。
「成功」を望まない「挑戦」をしよう
それでも、マザー・テレサの言葉が引っかかる「神は成功を望まない。ただ、挑戦することだけを望んでいる」
バカで有害な動物が言うところの「成功」なんて、慈悲深い正義の神であれば望まないのは納得。
では、「成功」を望まない「挑戦」とは何?
そのまま解釈すれば、ただの無謀・玉砕のススメ?
マザー・テレサだって人間だから、彼女の言葉が絶対に正しいとは限らない。
しかしながら、最高級の人間ゆえ、やはり言葉の重みが違う。
彼女ほど信頼できる人間は、歴史上でも限られるだろう。
だから、確信を持って、「成功」を望まない「挑戦」をしよう。
その方が面白いし。
「成功」させなければというプレッシャーもないから、気が楽だ。
そして、最後には、掃除という尊い仕事も待っている。
あるいは、その前に寿命が来て、俗世間からは卒業できるかもしれん。


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コメント
コメント一覧 (3)
論語、プラトン、コーランから、ルソー、カント、マルクス、フロイト、・・・歴史教科書記載の定番から展開して・・・意味が全然わからなくても、とにかく最後まで読み切りました。
文学は、「イリアス」「オデユッセイア」から1960年頃のサリンジャー、ガルシア・マルケスくらいまで。
和物も、「古事記」「日本書紀」から大江健三郎まで(人気の村上春樹は読んでません)。
あるあるで、読むごとに「これも読まなきゃ」がどんどん増えていきました。
もっといろいろ書きたいのですが、公開状態なのでご質問の返答のみにしておきます。本当に申し訳ございません。
そうか、名著って哲学、心理学なのですね。むずかしそうです。
私も若い頃は、世界の名作「ジャン・クリストフ」や「チボー家の人々」「罪と罰」などの長編を読みました。内向的なため、人生経験は、乏しいと思いますが、それらの大河小説を読み切ったことは、なんらかの人生の糧になったかなと思います。
やはり、何百年も文化圏を超えて読み継がれている書物ですから、これら以上に学べるものはないくらいに思ってます。
例えば、2千年以上前のギリシャ人の描写がそのまま現在の日本人の描写にもなりえますから、これは人間の本質をついていると言えるでしょう。
そこらのおっちゃんの聞きかじりの思い込みを聞かされるよりは、一人こもって名著を読む方が断然有益だと思います。