やる気ないままでいいか

正直、やる気があまり出ない。

 

60代で死んだ方が幸せだと思ってるから、残された時間は長くて10年、大したことはできそうにない。

我慢して人とうまくやろうなんて意思もないから、なおさら苦しいだろう。

そもそも、サルが凶悪に進化した結果の人間社会が(他の多くの生命を道連れに)崩壊に向かってるのは宇宙の摂理と思うから、根本的には何もやる意味が見えない。

せめて、今苦しんでる善良な人たちをサポートする何かができればいいけれど、自分にそんな力があるか疑わしい

60年かけて何もできなかったのだから、かなり悲観的にならざるをえない)。


 

若いころは、やりたいこと、やらなきゃいられないことが、探さなくても自然にいくらでも生まれて、時間がいくらあっても足りないという感じだったんだけど。

それらもやり終えたり、興味自体なくなったりで、熱い気持ちは完全に消滅してる。

 

古典の名著をもう一度読み、(私の倫理観の原点である)子供の頃観た特撮・アニメを観てるけど、これらも結局は人生最後に何をなすべきかのヒントを探してる。

でも、実は、探すだけで終わってしまいそうだと思いながら、続けてる。

 

もうやる気ないままでもいいじゃないかと頭では考える。

(「熱中症+餓死」による尊厳死こそが私の使命かもしれないという覚悟もしている。)

無理に何かをしようとしないのも悟りの境地ではないのかと。

 

ゆっくり少しずつが今の全力

でも、なんとなく心が落ち着かない。

 

頑張らなければいけないとずっと言われてきたから、洗脳されているだけか?

でも、私は、他人に頑張れと言われて頑張った記憶がない。

頑張る時は、いつも自発的だった

(だから、他人から見れば、無駄で非効率な頑張りが多かったと思う)。

洗脳されたということはなさそうだ。

 

やっぱり、死んだ後に、閻魔さんとかに怒られるのが怖いからだろう。

すでに、バカで有害な動物の一人として、相当怒られるようなことをやって来た。

マザー・テレサ流に言えば、挑戦して成功しなかっただけだから、少しはほめられるかもしれないが。

一方で、実は怠けていただけかもという罪悪感も正直ある。

(アホらしい、自分が情けなくなると思う仕事でも我慢して続けなければいけなかったのか、閻魔さんに聞くまでわからない)。

いずれにせよ、最後まで、少しでもましな人生になるように精進したい。 



だから、やる気がなくても、とにかく、ゆっくりでも前に出るしかない。

今、頭の中にあることしかできないから、それを少しずつつぶしていく。

時間がないと思うから、はっきりした目標もないのに気ばかり焦るんだけど。

ゆっくり少しずつしかできないのだから、それが今の自分の全力っていうこと。

それで閻魔さんに怒られたら、仕方がない。


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