残念だが、私には助けたい人を助けられない

先日60歳になったんだけど、「終わった」感が強い。

 

自分が持って生まれたもの、得た経験を生かして、何かできるんじゃないかと考えてたんだけど。

けっこう特殊な経験をしてると思うから、何かやらなければいけないと思ってたんだけど。

これまでやろうとして何もできなかったから、その負い目もあったし。

 

特に、今苦しんでる人をサポートする使命があるかもしれないと思ってた。

頭がよく、やさしくて善良なのに、人間関係が苦手というだけでうまくいかず、苦しんでる人いっぱいいると思うけど、そういう人達が力を発揮できる社会になればすばらしい。

同じように苦しんだ自分だからこそ、できることがあるだろうと。

 

でも、これ、とんでもない思い違いだと最近気づいた。

人間関係が苦手な人にとって、ネットは強力な武器になりえるだろう。

だけど、(スマホもできれば持ちたくない、SNSも使いこなせない)私のような旧世代の発想では、とてもとても手に負えない。

これもやはり、若い人に任せるべきだと思った。

私たち旧世代の人間苦手組が、最後の被害者になればよい。

 

結局形にならなかったから誰も認めないだろうけど、私はがんばった。

できることをやった。

これが全力。

それで満足。

他人に認めてもらう必要などない。

 

どうせカッコ悪いから

そこで、「終わった」感が強い中、残りをどう生きるかだけど。

実際すぐ死ぬかもしれんから

(けっこう元気なんで、ガンでもなったら転移は早いだろう)。

まずは、やりたいこと優先。

先の心配しても、意味がない

(生き残ったら、その時考える)。

 

で、何度も書いたけど、まずは古典の名著を読み返したい。

なぜそれをしたいのかを考えると、やっぱり、(バカで有害な動物だと思いながらも)「人間」というものをできるだけ正確に理解したいから。

何百年も前に別の文化圏で書かれた書物に描かれた人間の姿が、私の見ている現代の人間の姿と同じならば、それは「人間」の本質をついてると言えるはず。

英語、古典、歴史、そして運動」も参照ください。

 

同時に自分を省みて、改められるところは改め、少しでもましになれるようにと思う

60年も変えられなかった性格がそんなに大きくは変わらないだろうけども)。

 

それをやり終えれば、本当、人生でやり残したことはなくなる。

 

でも、その後があれば、何かはやりたいと思ってる。

ただ、カッコつけようとは思わないようには注意したい。

どうせカッコ悪いから。

馬鹿にされてもやりたいと思えることをやるべきだろう。



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